惣菜には頼らない!私は母に感化されて手作り派になった訳

私の母は決してお寿司以外の惣菜はスーパーなどで買ってきません!元々実家が八百屋で商売していたせいか、料理は何でも手作りの拘りが強くありました。母方の祖母はいつも常に台所に立っていて、何かしら手料理を作っていた光景を子供時代見ていた記憶があります。

父と結婚後、母は(母の母親)祖母から教わった手料理を常に作っていました。勿論弁当にも持たせていました。そのうちに私が生まれて、育児に家事に追われる日が続きました。父が自営業だったので、母はす~っと専業主婦として家庭の切り盛りをしてきました。3年後に妹が生まれ、ますます母は忙しくなっていきました。

私と妹が物心ついてから母の手料理はいつも手作りでした。昔はスーパーやコンビニなどありませんでしたので、惣菜なんかは余りなく、手抜きを一切しない母でした。やはり私の両親は第2次世界大戦中の生まれの人間ですから、和食系の献立が多くて、時には私や妹も洋食系が食べたいな~と思ってました。カレーは作ってくれましたが、それ以外の洋食は決して作る人ではありませんでしたので、たまに洋食を作ってほしいと母にリクエストすると、「お母さんの作るものに文句があるなら食べなくていい!おけ!」と激怒されました。

とにかく母は厳しい人でした。食べ物や物を大切にすることを常に心がけてました。そして父も。両親とも子供の頃戦争でひもじい思いをした経験があるので、何でも大切にする精神は強かったです。

それから暫くして私と妹に料理、洗濯などの家事全般を母は躾けるようになりました。現代の母親とは違い、実の親子であっても当時はスパルタと言っても過言ではないです。洗濯物の干し方一つにしてもちょっとでもしわがよってると私や妹を呼び出してしわをピンを伸ばして干すように指示しました。たたみ方も綺麗にするように躾けられました。

私が23歳になり婚約者(現・主人)と出会ったときに母は「彼はあんたの旦那様になる人に決まったんだから、やっぱり献立は手作りでいかないと。そうすれば彼は喜ぶし、あんたの為にもなるよ。」とよく言い聞かされたものです。

婚約時代、主人が私の家に来ると私は彼の為に料理の腕前を披露することにしました。確かあの時作った料理は「ローストチキン」と野菜サラダ、コーンスープ。そしてこふきいも。こふきいもはじゃがバターにしてみました。「ローストチキン」は生肉から買ってきてソースは私の手作り、野菜サラダ、じゃがバターも全部自力で私が彼の為に作ったのです。

あの時始めて手作りの夕飯に招待された主人。婚約時代は何だかぎこちない感じで私の作った料理を目の前にして、最初は「・・・・。」言葉が出てませんでした。私が「どうぞ、遠慮しないで食べてみて。」「うん、じゃあいただくよ。」と主人。私の初めての手料理に感嘆な声をあげて「こんな美味しいの、俺のおふくろは作ってはくれないよ~!!」と嬉しそうに全部食べてくれました。

彼が帰った後、母は「どう?男の人ってね、女性の手料理を案外望んでるのが分かったでしょう?結婚したら惣菜なんかに頼らずになるべくあんたの手作りで彼を出迎えてごらん。あんたの価値観上がる事間違いないよ。」その母のセリフがきっかけで、私はいつしか母に感化されて料理は常に手作り派に変身しました!料理だけでなく、お菓子作りも買わないで自分で思うままに作るように心がけるようになりました。

今では茄子のみそ焼き、カキフライ、鶏のから揚げ、ふろふき大根、いものにころがし、スパゲティ、コロッケ等手作りになりました。ですからスーパーでは惣菜を殆ど買うことはなくなりました。

手作派にしてくれた母に感謝!