そうかそういうアイディアがあったのか!母のあり合わせ夕飯献立

私の母は第2次世界大戦中の生まれの世代ですので、物はとても大切にする性格の持ち主です。例えば貰ったお菓子の箱とか、お中元、お歳暮で貰った包装紙など何か使い道があるかもしれないってことですぐに保管したがります。余り捨てるってことはしませんね。

食べ物に対しても決して粗末にするようなことはしません。近くのスーパーで買い物する際にも必ず買うものだけ物をメモしておき、メモした分以外の食材は一切買ってこない人でもあります。今でもそうです。癖なんでしょうか、性格なんでしょうか。

両親はとにかく戦中時代の人間ですので、「物のない時代だったんだから、今の時代に生まれてきたお前たちは苦労知らず」なんてよく言われたものでした。

母は鍋料理が好きで、よく夏冬関係なく「おでん」や「湯豆腐」を作ったものでした。たまたま父が早く帰ってくるとたいていは鍋料理でしたね。贅沢は「すき焼き」だったでしょうか。鍋料理は家族中で集まってはしをつついて話しながら食べるので家族団らんにもなりますね。特に私の父は忙しくて毎日夜帰宅する時間が遅いので、こういった早い帰宅は貴重な家族団らんの時間でもあったんです。

いくら4人家族と言えど、鍋料理でも量が多すぎて食べ残すことは多々ありました。「おでん」「湯豆腐」「すき焼き」の残った分。母はいつもこれらの料理を活用して別の献立にアレンジしてました。

両親の子供の頃は戦争の中でのひもじい生活を強いられてましたから、食べ物を無駄にする行為は絶対に許しませんでした。特に母は残った料理でも何かに変えればまた食べられる精神でいつもそうしった習慣を保ってた人でした。

まず「湯豆腐」について。これは何の料理に変えていたかと言いますと。簡単に味噌汁でした。「湯豆腐」はコンブでだしを取ってますから、野菜も白菜、豆腐が少々残ってますので、後はただ味噌を溶かすだけでした。「湯豆腐」は翌朝の味噌汁に変身していました。特に寒い冬場は「湯豆腐」のコンブのだしがきいてて美味しかったです。今でもそれはやっています。2~3日は朝食・夕飯に「味噌汁として飲み続けてました。(笑)

今度は「おでん」です。「おでん」については残った時は状況によってさまざまで、そのまま弁当のおかずになったり、夕飯の場合は「おでん」の具を細かく切って卵を割って入れてまた薄味系の醤油をたらし、砂糖を少な目にして、母は「おでん残り分の卵わり」なんて言ってました。それでも食べきれない場合は翌日の弁当のおかずになってました。

「すき焼き」はどうだったでしょうか・・・?皆「すき焼き」が好きだったので残した事例は余りありません。でもたまたま残った場合はどうしていたかお話ししましょう。「すき焼き」の残った分は「おでん」と同様、卵と砂糖を混ぜて調理してました。卵が固まって糸こんにゃくに醤油と砂糖の甘味が増してこれまた美味しかったです。冷めても美味しい。これが母の昔からのアイディア式夕飯です。

戦争時代に生きてきた母と父。本当に食べ物でも物でも決して粗末に扱うことをしません。物を大事にすることはよく両親から躾けられました。そして両親からよく聞かされた言葉が「食べ物も物もお粗末にすると雷様にオヘソを取られるぞ~!」と。子供時代は純情でしたから、両親の言ってたこと本気にしてましたけど、(笑)今思うと昔からの言い伝えだったのかもしれませんね。

母のアイディア夕飯変身術の「湯豆腐」「おでん」「すき焼き」3点要素アレンジ調理法でした。そうか~残ったおかず、鍋物でも普通の夕飯に変えることは十分可能だと改めて母の考え方に敬服しました!