おふくろの味ってどうしていつも同じ味付けができるの?

長年専業主婦をやってきた母は料理に対しては味の付け方が非常に上手です。達人と言ってもおかしくないです。和食派の母はいつも自分で煮物類を作りますが、例えば砂糖が何グラムだとか、醤油小さじに何杯だとか、全然図りません。母曰く、「目分量」。

さすがに料理に対してはベテラン中のベテランです!特に和食類に関しましては。子供のころからよく和食の料理の献立が多かったのは覚えています。いものにころがし、金平ごぼう、魚の煮つけ類など。様々な種類が食卓に並んでました。

あれが「おふくろの味」だったんですね。私は下に妹がいますので、特に「おふくろの味」とは言ってませんでしたが、自分が主婦になって初めてああ、あのときの母の作ってくれた料理こそ本当の「おふくろの味」だったんだと実感しております。母は料理のレパートリーが多かったのです。

でもさすがの料理の達人の母でも大の苦手なものがありました。それは「うなぎ」です。母は「うなぎ」と「蛇」を繋げて考えているようで、気持ち悪いという思いが強くて、毎年「土用の丑の日」に自分からうなぎを買ってくることはしませんでした。私や妹にお金を持たせて「うなぎ」を買いに行かせたのです。そしてまな板にうなぎのかば焼きをのせて私か妹が食べられるサイズに切っているのを見ると、「あんたたちよくそんな気持ち悪いもの包丁で切れるもんだね。」と不思議そうに言ってました。でも私たち姉妹はうなぎのかば焼きなど切ること等平気でしたので、いかに母がうなぎが苦手だったかが分かるかと思います。

でも母は何故か生魚をさばくことは意外と平気なのです。私たちはダメです。生魚をさばくことなど全然出来ません。内臓を取るなんてとんでもない!って思っていたからです。

母の実家は元は八百屋をやっていました。それで新鮮魚も仕入れて売っていましたので、平気で生魚をさばくことが出来るようになったのです。いわゆる育った環境の影響ですね。

さて、母流の私たちに与えてくれた「おふくろの味」。私がよく見てた母の調理してる姿。和食を常に作る人でしたから、スーパーで安く売ってたごぼうや、大根などよく買ってきました。ごぼうなんかですと、金平にしたいのでまずあく抜きするためにはごぼうを細かくさばく切り方をしなくてはなりません。そのさばく切り方の早いこと!手慣れた母はさささ~っと切ってしまいます。それで一晩切り裂いたごぼうを樽に水を入れてあく抜きをしていました。

それから大根を使った代表的な料理「切干大根」。これも母は切り方が物凄く上手です。あんなふにゃふにゃにどうして切れるんだろう?子供だった私と妹は不思議に思えて仕方ありませんでした。何とも「おふくろの味」の次に大事なことって味付けですね。母は軽量カップやスプーンなど一切使わず、味付けをします。母は自分の母親(私たちの祖母)から教わったとも聞いています。ですから親子伝授の料理法だったんだといえます。

どんな形にせよ、母だって料理に対しては初心者だった頃があったはずです。でも母は自分で勝手に覚えて味付けも自分でやることにしていると常に話していました。

味噌汁にしろ、色んな和食の味付けにしろ、失敗したのない母。どうしてあんなにいつも同じ味付けが出来るんだろう?私も妹も本当、母の味付けパワーには日々驚かされてました。

私たちにとっての「おふくろの味」。それは母が毎日料理していく上での味付けは全て「目分量」でやっていたことなのです。長年の慣れですね。母がいつも同じ味付けが出来る「おふくろの味」の秘訣は何でも「目分量」でやることを習慣にするということです。