私たち親世代と食の考え方の違い

私たちの親世代は戦争時代まっ盛りに生きてきた人たちが多いです。ですから食物に対する大切さをず~っと思い続け、米粒1粒でも残してはいけないと厳しく言われてきました。その理由はもう戦後の人間であれば誰でも一度や二度、いえそれ以上に聞かされ続けてきたかと思います。

その私たちも子供を持つ親になりました。私も2人の子供のいる母親です。でも戦後生まれなので食物に対する考えは親とは違います。特に私の母は食事で残したものを「残り物」だとか「残飯整理」とよく言ってました。

今でもその言葉は母は時折出しています。「残り物・残飯整理して食べた。」と。でも戦後生まれの私が聞くと何だか貧乏人みたいに聞こえてきてしょうがないのです。私の拘り過ぎかもしれませんが、「残り物で食べた。」と言われると私の作った料理がもしかして不味かったのでは?とさえ思えるのです。

今私的事情で私は今実家に来ています。母が1人暮らしなので、手助けするためです。9年前に緑内障を患い、それ以後目の視野が狭くなってとても1人にしておくのは危険なので私が家事の手助けをしに来ているのです。主人や子供たちも「行ってきていいよ。」と言ってくれたので、実家に泊まり込みで母の様子を見がてら家事をこなし、昼間はパートに行ってます。

私がパートに行ってる間は母は老人会の参加に出かけ、他人との交流があるので安心です。帰宅は勿論母の方が先です。母も見える範囲の目で洗濯物を取り込んだり、掃除はしています。

仕事から帰れば、私が母優先の献立を考えます。母のための献立を考えるのは正直とても難しいです。世代が違うので好みも全然違います。

母の好み料理はやはり柔らかいものです。一部が入れ歯なのでどうしても噛み切れませんからそういったことを考慮しないといけません。朝食は必ず味噌汁、夜は和食(煮物類)と強く拘ってます。でも若い時とは違い、すっかり体力が衰えてきましたから、「料理するのが億劫になってきた。」と話してます。

夕飯は私が母の好きそうなのをランダムに選んで買い物してきて作ります。和食派の母ですから、柔らかく煮たものがいいのですが・・・。いざ食べようとしても母は余り食欲も出ません。私の和食料理は母の口に合わないのかな?と思ったりもします。

母秘伝の手作り料理は貴重な教え!残り物・残飯整理は古言葉!

毎日料理していく上でおかずが残ったりすることはよくあることです。私の母はよく残ったおかずを「残り物」「残飯整理」といかにも戦中の人間らしい言葉で言いますが、もうそれは古言葉にしかすぎません!

時代が変わって何でも物で溢れてますから、私にとってはそういった言葉は貧乏くさく聞こえます。偏見だと思われた方はお詫びいたします。

今回は冷蔵庫の中にある材料であり合わせの料理についてご紹介します。母秘伝のあり合わせの調理法とは?余った野菜や他の物をいかに上手に使って料理したり、余ったおかずを別の形にアレンジすることなどもお話しします。

食パンはどうしても1枚余ってしまいます。そんな時にハンバーグの材料として使われ、変身します。残った南瓜の煮物はコロッケへ変身。どんな時にでも余るものは出ますが、別の料理に変身させると何となく達成感を感じます。男性の方々も台所に立ってみませんか?

私の家族全員が好きな献立の1つ「鶏のみそ焼き」。母から教わり、鶏肉料理の中では最も手間のかかるものです。母が40代の時に書店で買ってきた本だったそうですが、今は処分してありません。インターネットにも残念ですがこの料理は載ってません。

母と今2人暮らしでお互いに暗黙の期待で買い物をするものと思い込むことがあります。時に両方とも買い物に行ってない時に限って冷蔵庫に余り物が入ってません。でも必ずあるものでも案外夕飯は作れるものです。まして2人だけなら。常に冷蔵庫を覗く習慣が必要とされます。

手作り派の母は何でも料理は手抜きしないで何でも手で作ると言う強い拘りがありました。私や妹が年頃になって来て家事全般の躾を厳しくするようになり、少しでも口答えをすると激しい言葉が飛んできました。男性は常に手作りを望んでいると感化されて私も手作り派になりました。